数学女子 1 (バンブー・コミックス)<安田まさえ>は随分前に一度読んだのだが、暇だったので再度読み返してみたけれどやっぱり面白かった。へー、理系のギャグってこういう引用するんだ、とか、車のナンバープレートの数遊びのことをMAKE10っていうんだ、とか、数式や公式は実生活にこんなに役立って(?)いるんだ、とか。素数遊びってのもオツなもんだね、と思うようになった。ナンバープレートの語呂合わせは取得した人の遊び心が伺えて普段でもよく見ていて、たまに面白い数字を見つけることがある。
数学女子5
たとえば、これはだいぶ前に深夜車で走っている時に前にいた黒塗りのイカツイ車は、
0893→オレ、ヤクザ
近所のイカツイ家に駐車してある女性用と思しき赤い車、他2台。もう一つがどうにも語呂合わせがうまくいかなくていつもそこを通る度にう~ん、と頭を捻っているのだが...
1107→イイ女
1105→イイ男
3754→皆殺し
など、これは!!!というものがあったら教えて欲しいものだ。
それはさておき、
理系学生の獲得に政府、実業界ともども苦労しているという話をよく聞くが、簡単に増やす方法が一つあると思う。それは、文系に属している経済学部を改組して理系工学部に組み込んでしまえばいいと思う。そして、文系の哲学科の中に論理学科とか心理学科を組み込んでハイブリッドな履修体系にすればいいと思うのだ。法学部法律学科にしても、あれは言葉の論理学にしか思えないので、論理学の履修を必須にすればいい。統計学は商学部や経営学部でも履修必須にすべきだろう、あ、昔から履修科目か。
そして、文系全体にサイエンスリテラシーを高める意味でコンピュータサイエンスという履修課程を入れるという論議はU.S.Aの現状からよく言われていることだが、私はそれだけでなくヒストリーサイエンスは文系全学部必須にして欲しいと思うのだ。サイエンスが歴史にどれだけ変化を与えたのか、それは織田信長の鉄砲使用の一例を見るまでもなく、水の奪い合いが領土争いになったことや、世界的飢饉など土木的、農業的、金融的観点などから歴史を見ることは大変大切だと思う。戦争は、ただただイデオロギーの闘争だけではないはずだ。
さらに踏み込めば最早、文系、理系などという分類そのものが時代遅れなのでこういった枠は取っ払うべきであろう。
私がこんなことを思うのも、学生時代にコンピュータが勃興してきて、コンピュータの履修課程は単なる抽選によるオープン単位でその選に漏れたのが今でも悔しい思い出として残っていることだ。おかげで大金を払って後年パーソナルコンピュータを購入する羽目になり(これはコンピュータで今で言うところの萌えや同人を楽しみたい!!!という若者によくありがちな欲望のためだったのだが...)、しかもそのソフトウエアの論理構造を理解するのに目を白黒させねばならなかったことだ。
また、高校時に哲学書を呼んでいて、ラッセル、ウイトゲンシュタインを知って論理学に興味を持ち進路はこれにしようと思ったのだが、論理学科は当時、理学部数学科の一分野でしかなく大変がっかりしたものだ。
もちろん、急速に構造改革を進めれば、大学当局や教授会などは自分のポストがなくなるのではないかという恐れで反対するケースもあるだろうが、それは文部科学省がお得意の補助金で改組を推進すればいいのではないだろうか。ただ、文化やスポーツはその国のGNPだけではなく成熟度や民主度を計る物差しでもあると思うので、元大阪府知事のような乱暴な切り捨ては拙速で浅はかな施策であろう。それに国民の不満の吐き出し口でもあるので、むやみな規制も世相の歪みを生むだけだと思う。
知らなかったけれど、このシリーズは5巻まで出ているので最後まで一気に読んでみたい。それぐらい面白い本だ。おかげでこんな本まで買ってしまった。
大人のための やりなおし中学数学 一日一題、書き込み式 (光文社新書)
中学生からの数学「超」入門: 起源をたどれば思考がわかる (ちくま新書)
どちらも有用で面白い新書だ。特に後者は、中学一年生のこどもが最初にぶつかるマイナスの計算方法などをわかりやすく教えるにはどうしたらいいか、など懇切丁寧に書かれてある。私も当時さっぱりだった記憶があるが、なるほどこういう考え方で少しは理解が進むな、と思えた。それでも、まだ完全にはわかりにくかったけれども...
最近、よく数学の問題を見ているのだが、私から見ても問題の文章が実に説明不足だと思うことがよくある。何をどうしろ、という問題には実は例外がたくさんあって、それが書いていない場合は迷ってしまうのだ。それに悩んでいる間に時間だけただ進むという悪循環。言葉に鋭敏なこどもには少々不利かもしれない、などと思う。
最近では"数理女子"というサイトもあり啓蒙に熱心な人たちもいるようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿