2017年9月17日日曜日

懐かしの高田馬場


学生時代、荻窪、四谷三丁目、高田馬場に住んでいたので特にこの高田馬場は長く馴染みが深い場所なので、風景がこれ以上風化しないうちにピンアップしておきたい。


  山手卓球場




  ホテル ニュー高田

この"山手卓球場"だが今でもある。さかえ通り方面で銀行の裏手、ラブホテル"ニュー高田"の斜め前という微妙なロケーションだ。おっと失礼、このホテルはもうビジネスホテルに変身していたんだ。

以前、、マンガ"ピンポン コミック 全5巻完結セット (Big spirits comics special) [マーケットプレイス コミックセット]"を読んだ時、山手卓球場がモデルじゃないかと思ったぐらいだ。ここには、おばばが受付を長くやっておりなかなかの風格だ、確か、一度だけ入ったような記憶があるが、プレイ料金が安くないので貧乏な私たちが頻繁に通うには無理があった。それに、今の日本の卓球界隆盛と違って、昔は卓球部に入っていました、とか言うと暗いヤツと思われる雰囲気さえあった。隔世の感がある。アニメやマンガが好きです、と言うのと同じぐらい禁句だったのだ、まして、付き合う女性に対して言えない。当時は、趣味はスキーやテニス、サーフィンです、とか言った方が無難だったのだ。






実は、住んでいたのはこちらとは逆の方向だ。

   
  戸塚第二小学校


  戸塚第二小学校

こちらとは、そう、早稲田通りを戸塚第二小学校方面に沿って歩くこっちの方角だ。


すると、すぐに石谷医院が見えてくる。うっかり通り過ぎてしまうほど地味だがロケーションはいい。ここは昔から変わらないが、私は入ったことはない。しかし、あれから何十年経っているのだが院長は同じ人なのだろうか。


  石谷医院

ちなみに内科です。


  多摩旅館

そう、高田馬場メトロ駅早稲田側入口の手前にある小道を右に折れると、この多摩旅館があるのだ。ここも、全く変わっていない。しかし、注目して欲しいのはこのすぐ隣りにあるミニクラブ<Creative Salon "if">だ。ここは、ずっと美人姉妹が経営しており、ここで酔い潰れた客を隣りの多摩旅館にズルズルと運んでいるのを何度も目撃したものだ。おそらく、私の知り合いの出版社社員もここに相当お世話になっているはずだ。この写真は1年前ぐらいだが、その前にも彼女を見かけたので今もご健在で酒を振舞われているのであろう。いいコラボレーションだと思う。


  白樺荘

そして、左に折れると、当時は連れ込みホテルがあり、その横のアパートに住んでいた。これが"白樺荘"だ。ここはまだ存在していたので大変驚いた。一体全体、筑後何年経っているのだろうか。50年は過ぎているのは間違いない。


  白樺荘-突き当たり奥から斜景

ここは思い出が多すぎて書ききれないほどだが、変わった人が住んでいた。まず、玄関は共通。入ってすぐ右側にピンク電話が置いてあり、その電話の隣の部屋に住んでいた女性によく電話を取り次いでもらった。そのすぐ上に部屋を借りたので、この方には随分煩い思いをさせたはずなのだが一回もクレームを受けたことがなかった。大変申しわけない気持ちでいっぱいだ。この場を借りてありがとうございました、と申し上げておきたい。

ここの大家さんは、早稲田松竹手前にある"喫茶らんぶる"のオーナーだった。おばさんとおじさんが経営していた。おばさんが主に賃貸管理をしており、おじさんはもっぱら喫茶店でコーヒーを入れ、クラシックレコードをかけるのが仕事だったようだ。一度、おじさんからコーヒーをタダで頂いたことがあったが、そのマズイこと、ぬるいし、おじさんはきっと音楽を聴くために喫茶店を開いていたのだと思う。おばさんはなかなかやり手で、私は彼女から、白樺荘のゴミを週2回掃除して管理してくれると家賃から1万円引いてやる、という誘いに乗って大学時代このバイトをずっとやり通した。結構、有難かった。1年前に通りかかったら、おばさんは今では特養ホームに入っているらしいと聞いた。まだ生きているのかと驚愕したものだ。台湾の人らしいが、あの頃、この土地は絶対売らない、とか言い張っていたのをよく覚えている。子どもは見たことがなかったが相続はどうなっているのだろうか。

ちょっと疲れたので次回書き進めることにする。


ああ書き疲れた、次回は今度。



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