本日、いつものように塩野七生さんの「ローマ人の物語 8 ユリウス・カエサル 上」を読んでいたら、カエサルのキケロらへの対抗演説全文が最後のほうに出てきた。なかなか感動もので、これは現在の日本の状況にも十分通用する話だなあと思った、と同時に古今東西昔と今の政治状況はちっとも進んでいないなあ、と感じた。
「元老院議員諸君、諸君にかぎらずすべての人間にとっても、疑わしいことに決定を迫られた際、憎悪や友情や怒りや慈悲はひとまず忘れて対するのが正当な対し方であると思う。ヴェールにおおわれている真実を見極めるのは、容易なことではない。
中略
それでだが議員諸君、現在のわれわれにも、祖先に恥じないですむ対し方が求められている。レントゥルス以下の者たちの馬鹿げた行為にいかに対処するかも、憎悪でなく、われわれのもつ名への誇りによって成されんことを望む。
中略
しかし、元老院議員諸君、すべての人間は平等に、自らの言行の事由を謳歌できるわけではない。社会の下層に生きる下賎の者ならば、怒りに駆られて行動したとしても許されるだろう。だが、社会の上層に生きる人ならば、自らの行動に弁解は許されない。ゆえに、上に行けばいくほど、王道に自由は制限されることになる。つまり、親切にしすぎてもいけないし憎んでもいけないし、何よりも絶対に憎悪に眼がくらんではならない。普通の人にとっての怒りっぽさは、権力者にとっては傲慢になり残虐になるのである。
中略
しかし、議員諸君、あなた方はそうではない。それゆえに今、例をつくれば、それが以後どのような影響をおよぼすかも考慮しなくてはならない。
どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった。だが、権力が、未熟で公正心に欠く人の手中に帰した場合には、良き動機も悪い結果につながるようになる。はじめのうちは罪あること明らかな人を処刑していたのが、段々と罪なき人まで犠牲者にするようになってくる。
中略
今回が先例となれば、先例があるからといって執政官が、そして”元老院最終勧告”が剣を抜き放った場合、誰が限界を気づかせ、誰が暴走を止めるのか。
中略
われらが祖全がもっていた知恵と徳によって、小国家だったローマも現在の大帝国にまで成長したのだ、彼らに比べて今日のわれわれが手中にしているのは強大なる権力であり、それを使うにはより一層の思慮が求められても当然である。
後略」「ローマ人の物語 8 ユリウス・カエサル 上」<塩野七生/新潮社>より抜粋引用
今の日本では、共謀罪などというものが成立されようとしているようだが、最高裁判所よ、良識ある立法府なら成立後直ちに安倍首相を逮捕せよ、と言いたい。お前こそがテロリストだ、とね。ま、彼もパペットなのだが...それにしても、今の政治家はカエサルの演説などを読んだことがあるのだろうか?安倍首相は塩野さんと会って意気盛んになったそうだが、何を学んでいるのだろうか?ちゃんと彼女の本を読んだのだろうか?
こんなことを書いているとスクリーニングされて履歴され、それこそ共謀罪として逮捕されるのだろうなあ。そうして、こんなことを書くのも止めておこうという自粛につながり批判が消えてゆき...ということになるのだろう。
女にモテモテだったというカエサル、借金王だったというカエサル。それでも、生き延びるのに頭をつかっていたわけだから、適応力は凄かったのだろう。たいしたものだ。
AmazonのMobile Popoverが今ひとつわからない、というかしばらく使っていないとすぐにサインインが消えてしまい、セキュリティとはいえ面倒臭い。ま、いいや。次回チャレンジ。
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビjコン以前 下 10」読了。いやあ、面白い。面白い、塩野さん、面白すぎるよ!そして、カエサル凄い!さすが、偉人だ。借金は出世払いだあ、とはこのことだ。大きな野心に向かって着々と。それでいて、マスコミ対策も抜かりなく。この巻の最後ではこれまで黙々と付き従っていた副将ラビエヌスの行動が泣ける。ポンペイウス、カエサル、どちらにも付くことができず筋を通すにはこの方法しかなかった、武人。仁義だよなあ。<2017/4/14追記>
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