なぜ日本は〈メディアミックスする国〉なのか (角川E-PUB選書)<マーク・スタインバーグ>日本とアメリカのアニメーションの違いなどを論じており立派な比較文化学となっている。今までぼんやりと思っていたことを体系化していてタメになった。
「なぜ日本は<メディアミックスする国>なのか」
日本のメディアミックスはオリジナルの言葉であること、アメリカではトランスメディア・ストーリーテリングでありコンバージェンスであることや、日本のアニメはリミテッド・アニメーションであること、キャラクター(動かない)が中心であること、など。
自分の軌跡を反省した。もっと、キャラクターを根本に据えるべきだったのだ。世界を作るべきだったのだ。狭い世界でしかものを考えていなかった、などなど...
メディア・ミックスの語源をめぐる研究は確かにここに書いてあるとおりの年代で間違いないし、角川が歩んできた道筋も間違いない。ただ、かなり試行錯誤している時代もあったし多分に後付けな面もあったと思う。
大塚英志の解説もよくフォローされている。ただ、「新しいメディアミックスが発生するとすればもっと別な結節点からではないかと考えているが、...」と訳者の中川譲が言っていることには作者よりもこちらに同意だ。
他には、イタリアの政治評論家マウリツィオ・ラッツァラートの"マルクス主義の定義をひっくり返してみよう。資本主義は生産の様式ではなく、様式を生産し、世界を生産するものなのだ。表現による世界の実現とその主観性、認識の創造と実現は、経済的な生産に先行して存在する"や"消費とは、政治経済学や評論家が言うような商品やサービスを購入したり破壊したりすることではなく、まず世界に所属するための手段であるからだ"<Les revolutions du capitalisme(資本主義の革命)より引用>などなかなか示唆的な引用が印象に残った。マウリツィオ・ラッツァラートの分析は、東浩紀の動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)で展開した議論と近い部分があるそうだ。この二人の著作は読んでみる必要がありそうだ。
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