2016年8月22日月曜日

「彼女のひとりぐらし」を読んでみたけれど独女妄想に溢れていて面白かった

彼女のひとりぐらし (1) (バーズコミックス デラックス)を読んでみたけれど独女妄想に溢れていて面白かった。三巻まで出ていて結構重版もかかっている。男女とも意外と共感を呼ぶのかもしれない。独男も似たようなものだから、まいいか。


彼女のひとりぐらし一巻

2016年8月21日日曜日

長崎のハウステンボスに行ってきたのだが、ハウステンボス歌劇団というのが一番楽しめた

長崎のハウステンボスに行ってきたのだが、ハウステンボス歌劇団というのが一番楽しめた。弟から、このショーは入場券のみで入れるのでぜひ見て欲しい、と聞いていたので入園後、真っ先にここに到着。席は映画館のように有料席と無料席に分かれていたが、私は当然無料席の一番いい席を確保。

当日は、チームフラワーによる「LIE&TRUTH~孤高の花~」を観劇。55分ぐらいなのだが旅行中の身には有難い時間だと思う。しかも、一日二回公演するという。あの運動量で二回もするのか、と思うと驚嘆だ!そして、これは弟も言っていたのだが、本場の宝塚で安い入場料で見ると高い位置から豆粒のような彼女らをオペラグラスで見るしかないのだが、ここではすぐ近くから登場したり踊ってくれたりするので非常に距離が近い。これは嬉しい。まるでAKB48劇場ではないか!!とか言って行ったことないけど...

当日の主役は男役の伊織はやと(いおりはやと)さん、娘役は深佳さえ(みよしさえ)さん、脇役に青蘭そら(せいらそら)さん、海夏人蒼馬(みなとそうま)さんら。私は、青蘭そらさんがオシメンだった。細身でスタイルもいいし、小顔だし、踊りのキレも抜群だった。若いってこういうこと?迫力さえ付けばこれから伸びる逸材だと思う。主役の苦労人、伊織はやとさん(OSK日本歌劇団出身)はさすがに別格の威厳だった。劇団併設の養成所「ハウステンボス歌劇学院」出身者がじわじわと登用されているらしいので、いずれ世代交代の中で脇を固める人たちがこういった主役へと登りつめるのだろう。海夏人蒼馬さんは男役、娘役も演じてきたらしいが、妙に胸が盛り上がっていて気になった。胸が大きくてサラシを巻いても隠せないぐらいなのだろうか?こんなところが男視点か?深佳さえさんは娘役らしく愛らしく可愛かった。いずれにしろ、私の大好きな髪型である男役のベリーショートを堪能できた一日だった。女性のベリーショートは萌える!!!

彼女たちのプロフィールを調べていて、この歌劇団は当初OSK日本歌劇団出身者と宝塚出身者で構成されていたらしい。OSK日本歌劇団出身者は劇団が廃止になったりしてそれなりに苦労してきたようだが、それでもこうやって演じ続けているところを見ると、このお仕事が好きなんだなあ、と思う。

帰り際、出演者の皆様が宿舎に帰る途中に遭遇したのだが写真に撮られることを想定してか、顔は厚塗りの化粧のままだったのでビックリしたが体型は女性のそれでホッとすると同時に愛らしく感じたのだった。なんか可愛い!!!!!

さて、その他の施設だがこれは巨大お土産施設といったところで何も買う気がなかった私にとって無縁な場所。タワーシティにドムトールン展望室があり周辺を一望できるのでこれは訪れておきたい。入場券だけで入れる。ぐるっと周りを取り囲む小さなゴンドラ用河川(?)はドブの臭いがしてくる上に透明度もない、まして船乗りが歌を歌ってくれるわけでもないので全く乗る必要なし。せめてベネチアのプロの船乗りぐらいになって欲しいものだ。ハウステンボス歌劇団のお気に入りの出演者が劇中歌と同じ歌を歌いながら漕いでくれるんだったら私はお金を払っても乗るのだが...あと臭いドブ川をなんとかしてほしい。プールもあったがまあどうでもいい。また、期間中昆虫の展示会もあった。


  ハウステンボス/ドムトールン展望室よりマリーナ方面
  (窓からなので少し反射しています)



  ハウステンボス/風車

あと一点、福岡から長崎までは意外に遠い!!!また、長崎の高速道は高架が入り組んでいてわかりにくい。帰りに二回高速道に入りそこないぐるぐる迂回する羽目に...その他の長崎市内の見物はカット。日帰りはツライよ。

こうして、長崎を見ていると不思議なことに気がついた。ハウステンボスは長崎市の手前にあって、栄えている街を見て長崎市かなと思った所は佐世保市だったのだ。長崎市はまだずっと先にあった。なぜ、こんな先っぽにあるのだろうか。出島は島の突端にあるのかと思っていたらずっと内陸に近い所だった。

そうすると、原爆はなぜ造船の栄えた佐世保市ではなく市民が多い長崎市に落としたのか?長崎はキリスト信者が当時の日本でもおそらく多いほうだったろう。それをアメリカ側が知らないはずはなかろう。また、広島の原爆はなぜ工場が多くある呉市ではなく市民の多く住む広島市だったのか?日本が降伏するのはすでにわかっていながら、原爆の一般市民へのデータ収集のため、ロシアへの牽制と一石二鳥を狙ったのか、などの諸説が真実味を帯びてくる。

この年齢になるまで長崎の地理をしげしげとよく見ることはなかったのだが、改めてよく眺めてみるだけでもいろいろなことが疑問として次々と沸き起こってくる。そして、このことに無関心、無知だったことを大変恥ずかしく思う。

そうそう、さらにもう一つ。ハウステンボスの先に長崎バイオパークという動植物公園があるようだ。シマウマ、サイ、ラマ、フラミンゴなど85種あり、ラッコ、カピバラもいるとのこと。大人1,700円、小人800円なので近くの人には楽しいかもしれない。

今春。弟がまた行ったらしいが歌劇団しか見なかったらしい。いっそのこと、歌劇団しか見ない人のための観劇料を別に設定したらどうなんだろう。遊園地なんかには一切興味がないという人たちや、一度行ったからもういいや、という人もいるだろうに。大阪にあるUSJと違って、頻繁に施設更新や新コンテンツによる入れ替えなどを行っていないのではないのだろうか?<2020/5/25追記>






「数学女子」を再度読み返してみたけれどやっぱり面白かった。

数学女子 1 (バンブー・コミックス)<安田まさえ>は随分前に一度読んだのだが、暇だったので再度読み返してみたけれどやっぱり面白かった。へー、理系のギャグってこういう引用するんだ、とか、車のナンバープレートの数遊びのことをMAKE10っていうんだ、とか、数式や公式は実生活にこんなに役立って(?)いるんだ、とか。素数遊びってのもオツなもんだね、と思うようになった。ナンバープレートの語呂合わせは取得した人の遊び心が伺えて普段でもよく見ていて、たまに面白い数字を見つけることがある。



数学女子5

たとえば、これはだいぶ前に深夜車で走っている時に前にいた黒塗りのイカツイ車は、

0893→オレ、ヤクザ

近所のイカツイ家に駐車してある女性用と思しき赤い車、他2台。もう一つがどうにも語呂合わせがうまくいかなくていつもそこを通る度にう~ん、と頭を捻っているのだが...

1107→イイ女
1105→イイ男
3754→皆殺し

など、これは!!!というものがあったら教えて欲しいものだ。

それはさておき、

理系学生の獲得に政府、実業界ともども苦労しているという話をよく聞くが、簡単に増やす方法が一つあると思う。それは、文系に属している経済学部を改組して理系工学部に組み込んでしまえばいいと思う。そして、文系の哲学科の中に論理学科とか心理学科を組み込んでハイブリッドな履修体系にすればいいと思うのだ。法学部法律学科にしても、あれは言葉の論理学にしか思えないので、論理学の履修を必須にすればいい。統計学は商学部や経営学部でも履修必須にすべきだろう、あ、昔から履修科目か。

そして、文系全体にサイエンスリテラシーを高める意味でコンピュータサイエンスという履修課程を入れるという論議はU.S.Aの現状からよく言われていることだが、私はそれだけでなくヒストリーサイエンスは文系全学部必須にして欲しいと思うのだ。サイエンスが歴史にどれだけ変化を与えたのか、それは織田信長の鉄砲使用の一例を見るまでもなく、水の奪い合いが領土争いになったことや、世界的飢饉など土木的、農業的、金融的観点などから歴史を見ることは大変大切だと思う。戦争は、ただただイデオロギーの闘争だけではないはずだ。

さらに踏み込めば最早、文系、理系などという分類そのものが時代遅れなのでこういった枠は取っ払うべきであろう。

私がこんなことを思うのも、学生時代にコンピュータが勃興してきて、コンピュータの履修課程は単なる抽選によるオープン単位でその選に漏れたのが今でも悔しい思い出として残っていることだ。おかげで大金を払って後年パーソナルコンピュータを購入する羽目になり(これはコンピュータで今で言うところの萌えや同人を楽しみたい!!!という若者によくありがちな欲望のためだったのだが...)、しかもそのソフトウエアの論理構造を理解するのに目を白黒させねばならなかったことだ。

また、高校時に哲学書を呼んでいて、ラッセル、ウイトゲンシュタインを知って論理学に興味を持ち進路はこれにしようと思ったのだが、論理学科は当時、理学部数学科の一分野でしかなく大変がっかりしたものだ。

もちろん、急速に構造改革を進めれば、大学当局や教授会などは自分のポストがなくなるのではないかという恐れで反対するケースもあるだろうが、それは文部科学省がお得意の補助金で改組を推進すればいいのではないだろうか。ただ、文化やスポーツはその国のGNPだけではなく成熟度や民主度を計る物差しでもあると思うので、元大阪府知事のような乱暴な切り捨ては拙速で浅はかな施策であろう。それに国民の不満の吐き出し口でもあるので、むやみな規制も世相の歪みを生むだけだと思う。

知らなかったけれど、このシリーズは5巻まで出ているので最後まで一気に読んでみたい。それぐらい面白い本だ。おかげでこんな本まで買ってしまった。

大人のための やりなおし中学数学 一日一題、書き込み式 (光文社新書)




中学生からの数学「超」入門: 起源をたどれば思考がわかる (ちくま新書)





どちらも有用で面白い新書だ。特に後者は、中学一年生のこどもが最初にぶつかるマイナスの計算方法などをわかりやすく教えるにはどうしたらいいか、など懇切丁寧に書かれてある。私も当時さっぱりだった記憶があるが、なるほどこういう考え方で少しは理解が進むな、と思えた。それでも、まだ完全にはわかりにくかったけれども...

最近、よく数学の問題を見ているのだが、私から見ても問題の文章が実に説明不足だと思うことがよくある。何をどうしろ、という問題には実は例外がたくさんあって、それが書いていない場合は迷ってしまうのだ。それに悩んでいる間に時間だけただ進むという悪循環。言葉に鋭敏なこどもには少々不利かもしれない、などと思う。

最近では"数理女子"というサイトもあり啓蒙に熱心な人たちもいるようだ。